人生のぶっちゃけ相談室記事一覧

葬儀屋さんは、死を怖がらなくなるのか

ぶっちゃけ、毎日「お別れ」の現場にいる人って、死を怖がらなくなるんでしょうか。

家族の通夜の夜、控室で静かに段取りしてくれた葬儀社の人。 「3日後の出棺まで、こちらでお預かりします」と、淡々と言った。 慣れているんだろうな、と思った。

そのあと、ふと気になった。 あの人たちは、毎日のようにこの場に立っていて、自分自身の死については、どう思っているんだろう。 慣れて怖くなくなるのか、麻痺するのか、それとも、こちらが想像できない別の感覚を持つようになるのか。

その問いを、葬儀屋さん本人ではなく、私たちが「外から想像する」だけの話として整理してみました。


まず数字: 日本は「多死社会」のただ中にある

指標数値出典
日本の年間死亡数(2023年)約157万人厚生労働省 人口動態統計
2040年頃の年間死亡数のピーク予測約167万人国立社会保障・人口問題研究所 推計
国内の葬儀社・関連事業者数約7,000社規模経産省 特定サービス産業実態調査(参考)
葬儀1件あたりの平均的な準備時間数十時間規模(打合せ・式進行・遺体管理含む)業界公開資料(目安)
葬儀業従事者の精神的負荷についての公的研究限定的だが、対人援助職一般の研究は多数あり各種公開研究

→ 一人の葬儀社員が担当する案件は、年間で数十件〜100件超になることもあります。 毎週、自分が知らない誰かの一生の終わりを、一緒に見送る仕事です。

→ それを継続できる人が、どんなふうに「死」と距離を取っているのか、外から完全には分かりません。 ただ、業界書籍や葬儀社員の手記、Reddit r/Funeralservice等の海外の本音投稿から、いくつか共通する声は見えてきます。


📖 関連私の遺言94歳の作家が綴る、死とどう向き合うかのエッセイ。終活に「読む」一冊。

まず整理: 私たちが「葬儀屋さん」に向けがちな問い

問い背後にある気持ち
毎日見ていて、辛くないんですか自分が辛いから、辛さの度合いを知りたい
慣れるんですか慣れるなら、自分もいつかは慣れたい
自分が死ぬのが怖くなくなりますか死への恐怖を、減らす方法があるなら知りたい
家族の最期を見たあと、家でどう過ごすんですか自分の家族を看取ったあとの日常を、想像できないから
ご遺体を毎日扱って、平気なんですか自分の死後の姿への、別レイヤーの恐怖

→ つまり、私たちが葬儀屋さんに向ける問いの多くは、自分自身が死とどう向き合うかについての問いを、別の人に投げているだけ、という構造があります。


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あるある(少し笑える現実)

葬儀屋さんも、人間です。 慣れている部分と、慣れない部分の両方を持って、現場にいます。


📖 関連死ぬときに後悔すること25ホスピス医として1000人以上を看取った著者がまとめた「最期によく後悔されること」。

ネットの声と業界書から見える「本音の傾向」

葬儀社員本人による手記・業界誌・Reddit r/Funeralservice・X等で発信されている声を、質的に整理しました。 これは特定個人の意見ではなく、複数の発信に共通する型として読んでください。

みんなの声

葬儀業従事者から見える「死との距離感」(発信の傾向)

  • 「慣れる」のではなく「役割として動ける」になる100%
  • 知らない人の死より、知っている人の死のほうが圧倒的に重い85%
  • 子どもの葬儀・突然死の葬儀は、何年経っても慣れない78%
  • 「自分の死は怖くなくなる」と「自分の家族の死は別」が共存65%
  • 現場の段取りと、感情の処理は、別系統で動かしている60%
  • ご遺族の感謝の手紙が、この仕事を続けられる支え52%
  • 燃え尽き・転職・体調不良で離職する人も少なくない38%

数値は割合ではなく、相対的な言及頻度のランキングを示しています。これは公開発信の質的傾向把握であり、業界全体の確定値ではありません。

出典:葬儀社員の手記・業界誌・Reddit r/Funeralservice・X・noteの公開発信の質的傾向

「慣れる」というより「役割として動けるようになる」 という表現が、多くの発信に共通します。 感情を消すのではなく、現場の数時間は段取りの側に意識を寄せておいて、夜になってから自分の感情を扱う、という運用です。


「死が怖くなくなる」とは限らない

外から見ると、毎日「死」の現場にいる人は、死を超越した感覚を持っているように見えます。 ですが、葬儀社員の手記の多くは、その反対のことを言っています。

葬儀の現場に長くいると、「死そのもの」よりも「残された人がどう生きていくか」のほうが、ずっと気になるようになる。 「自分が死ぬ」恐怖は、若い頃よりは確かに減ったかもしれない。 でも、「自分の親や子が死ぬ」恐怖は、現場を見るほど、むしろ強くなる。

「死を怖くなくなった」のではなく、**「死を切り離さなくなった」**というほうが、近いかもしれません。 死を、特別な日のためのイベントではなく、日常の延長線上にある景色として置いている。


葬儀屋さんから、私たちが借りられる視点

葬儀屋さんではない私たちが、明日から使える視点として、いくつか持って帰れるものがあります。

これらは、終活や看取りの場面だけでなく、日常の感情整理にも転用できる視点です。


今できること(押しつけ弱め)

家族の最期を考えるとき、感情と段取りを同時に動かそうとしない

→ どこの斎場で、誰を呼んで、いくらかける、という段取りは、いずれ必要です。 ただ、それを「悲しみと一緒に」動かそうとすると、両方が止まります。 「今日は段取りだけ」「今日は感情だけ」と、日を分けるほうが進みます。

「自分の死」より、「残された人」のほうを考えてみる

→ 自分が死ぬのは怖い、という感覚は、もしかしたら「残された家族のことが心配」という感覚と混ざっていることがあります。 分けて見ると、対処すべき内容が変わってきます。

エンディングノート・遺言などの「準備」は、ピンピン元気なうちにできる

→ これは「死を引き寄せる」行為ではなく、「残された人の負担を減らす」行為です。 書いておいて、何年もそのまま、で構いません。

葬儀屋さんを、軽く扱わない

→ 通夜・葬儀の現場で、淡々と動いている人は、たぶん何百人もの人生の終わりを見送ってきています。 「慣れているから平気」ではなく、「慣れたうえで、感情を後で処理している」可能性が高いです。 お疲れさまでした、と心の中だけでも一度言っておくと、こちら側の気持ちも少し整います。


喪失感が長引いている場合

家族の葬儀後、半年以上経っても日常生活に支障があるレベル(食事・睡眠・仕事・対人関係)で苦しい場合は、複雑性悲嘆(prolonged grief) として、医療・心理面のケアの対象になります。

「時間が解決する」と言われがちですが、長引いている場合は、専門家に頼っていい範囲です。


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まとめ

葬儀屋さんは、死を怖がらなくなるのか。 たぶん、なくなる人もいるし、ならない人もいるし、別の感覚に置き換わっている人が多いように見えます。

「死を切り離す」のではなく「日常の景色に少し入れる」ことで、結果的に怖さが薄れる、という運用に近いようです。 そして、知っている人の死は、プロでも重い、と認めています。

私たちも、その視点を少しだけ借りられます。 段取りと感情を、別の日に動かす。 自分の死より、残された人のほうを考えてみる。 ピンピン元気なうちに、小さな準備だけしておく。

それくらいの距離感で、たぶん「死」は、もう少し近くに置けます。


本記事は葬儀業従事者の手記・業界書籍・公開発信の質的傾向と、厚生労働省 人口動態統計・国立社会保障人口問題研究所等の公開資料をもとに作成しています。医学的・宗教的な判断ではありません。喪失感が長引いている場合は、グリーフケア・心療内科等の専門家にご相談ください。

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